私は舞鶴市における医療崩壊を防ぐために、本日、平成23年2月に行われる舞鶴市長選挙に立候補することを表明した。私は舞鶴共済病院病院長として在任中に、下記の文章を国家公務員共済組合連合会のコラムに投稿した。
舞鶴地区における地域医療再生計画の問題点
舞鶴市は明治時代より軍港として栄え、当時から病院が3つあり、また、多くの公的機関が設置され、人口10万人を超える京都府北部では最大の中核地域であった。戦後、3病院は舞鶴鎮守府海軍病院を前身とする国立舞鶴病院(現、舞鶴医療センター)、舞鶴海軍工廠職工共済会病院は舞鶴共済病院、海軍の軍人及び軍属の家族を対象の財団法人海仁会病院は舞鶴市民病院、さらに西舞鶴地区からの強い要望で旧海軍工廠の建物を改修整備して新たに舞鶴赤十字病院が発足し、4病院となり、人口10万市としては稀な医療充実都市が形成された。
この小さな地方都市に公的4病院が存在することにより、自ずと病院間の生存競争が発生し、舞鶴地区は近隣の市町村と比べて、新しい医療技術の導入やサービスの向上がみられた。そのため、舞鶴地区の医療を求めて、近隣から流入する患者は相当数に上り、診療圏の推定人口は20万人を優に超えていた。
しかし、平成に入ると近隣の福知山市(平成5年)、宮津市(平成6年)綾部市(平成7年)等の自治体病院の診療機能が飛躍的に充実し始める事により、徐々に舞鶴市の病院過密地帯に異変が出始めて来た。舞鶴市内4病院に通院する総患者数の減少(周りの市町村の患者が地元の病院で治療を受けるようになった)により、表現としては些か不適切ではあるが、いわゆる勝ち組、負け組に次第に分かれる状況となった。このような背景の中で、急性期病床の利用患者数が減少し、平成11年に舞鶴赤十字病院(京都府立医科大学の関連病院)は一般病床198床の内、48床を療養型病床として変更することになった。さらに、新卒後研修制度が開始された平成16年4月に、突然、舞鶴市民病院(京都大学医学部の関連病院)の内科医師が集団で退職して、舞鶴市民病院が決定的な負け組となり、その後、数十億の市財を投じたが、現在も一般病院としての機能は果たせていない。私が当地に赴任した昭和55年頃は舞鶴国立病院(後に舞鶴医療センターとなるが、京都府立医科大学の関連病院)が圧倒的に優位に立つ総合病院であった。しかし、平成10年頃より次第に勢いに陰りが見え始めたため、平成12年に救急センターを設置し、巻き返しを図り、その後の数年間は勢いを取り戻したが、平成16年頃より医師不足の影響が徐々に出始め、多くの外科系診療科(耳鼻咽喉科、眼科、泌尿器科、産婦人科等)の医師が一人体制となり、それまでは一般病床が395床であったが、平成20年からは339床に減少した。私の解釈には多少の偏見があるかも知れないが、概ね30年間に渡る舞鶴市内の3病院の変遷をこのように考えている。一方、我が舞鶴共済病院(福井大学、金沢大学、京都府立医科大学、岡山大学医学部等、複数の大学の関連病院)は、「独立採算→誰にも頼れない」を一貫した信念として病院幹部が全職員を引っ張り、昼夜を問わず働いて来たことが、職員、関連大学、地域住民に支持され、勝ち組となり、今日に繋がっていると思っている。
舞鶴市内4病院の医療態勢の将来を危惧して、平成19年に舞鶴地域医療あり方検討委員会が発足し、7回の議論を重ねて同年11月に最終答申が舞鶴市長に提出された。この答申は具体的な内容は全く無く、「舞鶴市内の各病院の医療提供実績、舞鶴市東西の行政策の文化や市民感情を十分に考慮し、将来的には1ないし2病院にまとめ、できれば1つの運営母体で管理する」との概念的なものであった。この答申が出された後も目立った活動は無く、唐突にも平成21年4月に公的4病院再編グランドデザインなるものが発表された。
設立母体、支援する大学病院、医療実績、病院職員の気持、等を全く無視したデザインには多くの無理があり、少なくとも、それなりに運営している病院職員にとっては納得し難いのは当然である。「病院は誰の物か?」との疑問を投げかけられたら、私は「病院職員の物」であると答える。一般的に、「会社は社員の物では無く、株主の物」と言われているが、少なくとも独立採算で運営している病院の場合は「病院職員の物であり、地域の財産」であると、言い切れる。何故なら「自己犠牲を強いられ、献身的な仕事」を四六時中求められる職業において、職員に感謝し、その苦労に応えなければ病院組織は保たない。職員が働きやすく、生き甲斐のある組織こそが、患者さんに支持される病院であることは間違いない。
病院のリーダーには、医療の安全と質を最大限に追求し、かつ、時間のファクターを考慮(勤務時間内に効率よく多くの仕事をこなす)したスピーディーな医療を提供できるチームをできるだけ多く編成することにより、仕事効率を高めて、安定した病院運営を行うことが要求される。そのためには、病院長には最大限の権限が必要であり、その結果について、全責任を負うのは当然である。税金で支援される公的病院で、赤字病院が多いのは病院長の権限が弱いために責任感も感じにくいためと思われる。
現時点で、舞鶴地区の住民は医療サービス提供態勢において困っているとは思えない。しかし、将来的には問題が発生する可能性は大きい。住民が困ったと感じた時には、もう修正は不可能である。医療事情は地域によって全く異なることは言うまでもない。また、血税が有効に利用されることも当然である。今、舞鶴地区で行政が主導で進めている地域医療再生計画は、実現は極めて困難で、税金の無駄遣いとなり、将来に禍根を残すと思っている。地域住民に現状を正しく理解してもらい、住民から真に支持される再編計画に変更される時期が早急に来ることを願っている。
平成22年2月12日
国家公務員共済組合連合会 舞鶴共済病院 病院長 多々見良三
今後、舞鶴市民病院が崩壊した経緯、それに対する舞鶴市の対応の失敗、舞鶴地域医療あり方検討委員会が発足となった裏話について、述べたいと思う。