第1話 舞鶴市民病院問題発生の裏話

  • 2010.12.25 Saturday
  • 22:47

今回より市民病院問題発生からの経緯を述べる。

舞鶴市民病院が崩壊した原因として、間接的ではあるが、舞鶴共済病院にその一端があると私は推測している。
舞鶴共済病院は準公的病院の使命(公的病院にも当然求められるが)として、病院の中期計画および経営状態を当地域の医療関係者および学識経験者に公開する会議(アドバイザリーボード)を2001年より毎年開催することになった。そのメンバーに舞鶴市長、舞鶴医師会長、舞鶴市内の診療所を経営する院長、保健所長、患者代表、学識経験者を外部より招聘し、併せて、院内の中堅以上の幹部も出席する会議を現在まで続けて来た。この会議から病院経営のノウハウを理解された当時の舞鶴市長は翌年の2002年に「舞鶴市民病院の病院運営の会議に乗り出す方針」を打ち出した。
当時の舞鶴市民病院院長は「医局への権力の介入は止めていただきたい」と防衛されたとのことであるが、「これは、権力の介入ではなく、病院管理者としてこれ以上、慢性的な赤字を放置できない」と説明されたようである。(当時の副院長であった松村理可先生が後に執筆された医学書院発行の地域医療は再生する とのタイトルの著書を参照)
当時の病院長はこの時点で,辞職を決意し、同年9月に新病院長が赴任することとなった。
この後は、明日に続く‥
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